あれから1年経ちました

2022年7月8日

1年前のこの日も快晴で暑い初夏の頃だった。

安倍晋三元総理大臣が銃撃されたニュースはテレビ、ラジオ、インターネットを通じて世間に知れ渡り、大きな衝撃をもたらした。

 

平和と言われるこの国で、戦前の大隈重信元総理の暗殺未遂や原敬元総理、浜口雄幸元総理の襲撃、そして二・二六事件のようなテロが起きるなど誰も想像しなかったであろう。

 

しかし、犯人の山上徹也容疑者が世界平和統一連合、いわゆる旧統一教会絡みであることを供述したことから世の中の関心が総理大臣の襲撃(暗殺)から政治と宗教の問題へとシフトチェンジしてしまった。

 

起業家の堀江貴文氏もYouTubeで語っていたように、仮に統一教会への罰則規定を立法して教団を弱体化させて信者を減らしたとしても一定数以上の信者は残る上、結局他の宗教へ救いを求めるのは人間のサガなのでこれほど無意味な議論はない。

 

そんなことよりもこの元総理大臣という国家権力に対するある種のテロというものを考えてほしかった。

 

戦前のテロは関東大震災が起き、社会が不安に呑まれていく中で日本は昭和恐慌に巻き込まれる。

 

当時、大正デモクラシーの時代で都市部は栄えていたが地方はまだまだ明治の名残が強く、俗にいう格差社会が顕著であった。

 

東北の農村では若い娘達が今風に言えば吉原のようなところへ身売りされる事案が発生した。


それも1件や2件、10件20件どころの騒ぎではない。

そんな中で政府は井上準之助大蔵大臣の経済失政もあり、深刻なデフレに陥っていた。

 

国民は政党政治への信頼を無くし、いつしか軍部へと期待を寄せていた。

 

その期待を利用して軍部(特に関東軍という中国東北部に進駐していた部隊)が暴走して張作霖爆殺事件や柳条湖事件、いわゆる満州事変を起こして中央政府はそれを止められなくなっていく。

 

国内では血盟団という極右団体が政府要人を襲撃し、五・一五事件二・二六事件のような青年将校によるテロが起きた。

 

書いていて何故か今の世の中とほぼ同じだなと気付く。

 

違うところと言えば日本には軍隊はなく、国民が軍を嫌悪しているところだけだ。

 

東北大震災、政府の経済失政、年寄り政治家達の信用失墜、若者の荒廃と身売り(東横キッズやパパ活、立ちんぼをする少女など)、止まらぬ格差拡大。

 

まさに社会不安が起きるとこうしたテロリズムが起こり、世の中は血生臭くなるのである。

 

山上徹也が現れる前からいわゆる「無敵の人事件」は起きていた。

 

AKB48の握手会にノコギリを持った男が乱入したり、秋葉原で加藤智大が通行人を無差別に殺傷したり、池袋駅構内で無差別殺傷を起こす若者が現れたり、土浦無差別殺傷事件、相模原事件、京アニ放火事件、京王線ジョーカー事件、小田急線事件などいくつもの事件が起きていた。

 

彼ら犯人達のターゲットも目的も違えど、共通していたのは社会的不安によって「負け組」と言われてしまった人間達の抵抗であった。

 

日本人は以前はそういった人たちは自ら命を断つ選択をしてきた。

 

行政改革構造改革という名の新自由主義グローバリズムを推し進める政策により格差が拡大して経済はガタガタになり、人々は共同体を失ってバラバラになった。

 

そうして命を絶ってきた人達の中から「どうせ死ぬなら社会に牙を向いてやる。何人か道連れにしてやる」と言った者達が現れた。

 

それが彼らである。

 

上記の犯罪者達と五・一五事件二・二六事件を起こした青年将校に共通点は、どんなに大義名分を重ねても根底にあるのは「このクソみたいな社会をぶち壊してリセットしたい」という願望なのではないか。

 

まさに映画「ジョーカー」でアーサーが最後に辿り着いた境地である。

 

よく五・一五事件二・二六事件を「強烈な天皇主義者の右翼が起こしたテロ」と勘違いされる。

 

これを最初に言い出したのはどうやら丸山眞男らしい。

 

だが、わたしはそうは思わない。

 

あれはむしろ真逆で極左による社会主義革命だと思っている。

 

特に二・二六事件がそうだ。

 

磯部や安藤ら主要メンバーは全員北一輝という思想家に傾倒していた。

 

北一輝は「国体論及び純正社会主義」や「日本改造法案大綱」の中で私有財産の制限や天皇機関説、そして資本家や地主の権力抑制などかなり社会主義に違い思想を持っている。

 

天皇という言葉がなければレーニンマルクスが書いた著作と見間違えるほどだし、現に「国体論及び純正社会主義」に至っては当局に目を付けられて即発禁処分を受けている。

 

二・二六事件青年将校も本気で天皇陛下バンザイとか天皇親政なんて言っていたのは磯部くらいで他の主要メンバーは口先ではやれ天皇親政だのやれ君側の奸を討てだのと言ってはいたが、とにかく国家権力にすくっている連中を排除して国家をぶち壊したい、作り替えたい、要するに革命を起こしたいという人間達であった。

 

こう聞くとやはり昨今の無差別殺傷事件や山上徹也の安倍元総理襲撃事件と同じにおいを感じざるを得ない。

 

なお、安倍元総理に対する評価はここでは書かない。

 

彼がおこなった政策の大半についてわたしはあまり支持していないが、それはTwitterによくいる「アベガー」的な連中とは違い、保守政治家として彼を評価した時に支持できない政策が多かったという話だ。

 

それを抜かせばいくらか支持できるところもあったかもしれない。

 

それはそれとして、こうして一国の元総理がいかなる理由があれど暗殺されるということがこの国でも起きた。

 

岸田総理も襲撃を受けた。

 

世が世なら国民は自衛隊を支持して、自衛隊にもっと権力を与えようとなり、それに迎合したマスコミに煽られて政治家も追認するといったことが起きたかもしれないし、ナチスドイツのように強いリーダーシップという名の独裁者を求めていたかもしれない。

 

独裁者はどこからともなく急に現れると日本人は思い込んでいるが、むしろ日本人がロクに意味もわからずありがたがっている民主主義の中から独裁者は生まれている。

 

ローマのカエサル
フランス革命ジャコバン派の暴走。
フランス革命以降のナポレオンの台頭及び皇帝就任。
ロシア革命およびレーニンスターリンの独裁。
イタリアのファシスト党およびムッソリーニの台頭。
ナチスドイツのアドルフヒトラー
中国の毛沢東文化大革命

 

常に社会の混乱や不安に押し潰されそうになった国民がマスコミの強いリーダーシップという言葉に流されて民主主義を使って独裁者を誕生させてきた。

 

要するに、我々は社会が混乱したり不安になった時に「決められる政治が必要だ」「強いリーダーが必要だ」とつい思ってしまう。


だが、その思想こそが独裁者を生み、社会を奈落の底に突き落とす。

 

今回でいえば安倍元総理への評価やテロリズムが起きたことよりも「諸悪の根源は統一教会だ。潰してしまえ」という暴走した正義感が当てはまる。

民主主義が独裁者を生むのと同じく、正義感は暴走する。

 

暴走する正義感が束になった時に民主主義で合法的に独裁者が生まれ、国家は破滅へと向かう。

こういう時こそ我々は歴史を見つめ直し、学び直し、冷静に議論する必要がある。

 

最後に、安倍晋三元総理大臣についても近々書こうと思う。


実は暗殺事件の後途中まで書いていたが、諸事情というかわたしのミスで記事を消してしまった。

 

わたしのTwitterのフォロワーさんには安倍元総理を支持する人もいればアンチ安倍の人、中にはツイートを見るに「アベガー」の人までいて千差万別。

 

なのでなるべく客観的に、いいところも個人的によくなかったと思うところも含めてわたしが見た安倍晋三論を書きたいと思う。

 

今日明日明後日とかすぐには書けませんが、よかったら次回も見てください。

 

他にも「死刑制度について」「ウクライナ、ロシアから考えるわたしの戦争論」「日本は果たして本当に資本主義なのか」などいくつか書きたいトピックがあるので少しずつ進めていこうと思います。

 

ご精読ありがとうございました。